通潤橋です。

石の橋から水が飛び出る橋ですね。教科書にも載っていたりする橋です。

取材しますと、奥深い歴史がありました
橋を作ったのは惣庄屋(そうじょうや・村長さんみたいなカンジです)の

布田保之助(ふた・やすのすけ)

隣町の大きな石橋をお手本に通潤橋を作ろうとします。

ちなみに、熊本は日本一「石橋」が多い県です。また、石垣で有名な熊本城もありますね。

なぜ、石垣の技術が高いのか。

それは「阿蘇山」です。

阿蘇の噴火で、石垣の材料がたんまりあるんです。

(溶結凝灰岩・「ようけつぎょうかいがん」といいます。ブラタモリ風)

苦労したのは、隙間からの水漏れ。

漆喰を使って水漏れを防ぎます。

この漆喰も大分県まで研究に出かけたり、「松ヤニ」を煮込むなど、創意工夫を重ねた特性漆喰です。

放水のナゾ

通潤橋は放水しますね。

とてもキレイで写真撮影にはぴったりです。

この放水、もともと、大事な意味があるんです。

それは

橋の中央部に溜まったゴミを、水の流れで吹き飛ばそうという狙いです。

江戸時代は年1回のお祭りのときだけしか放水しませんでした。

きっと江戸時代の村の人たちは、特別な思いでキレイな放水を眺めてたでしょうね。

いまは観光用で、放水しています。

放水カレンダーは検索してみてください

神社の名前は「布田(ふた)神社」

布田保之助を神様として感謝の気持ちを表しているのです。

いまも命日には、大勢の人たちが通潤橋に集まり、布田保之助を称えるということです。

なぜ高度な測量ができていたのか

「なぜ、ほぼ水平な用水が作れたのか」「なぜ、通潤橋はあの場所なのか」

その理由は、詳細な地図が作ってあったからです。

その地図を作ったのは、保之助のお父さんでした。

しかし、そのお父さんも、水のトラブルから村人を守るため自害してしまいます。

当時、病死と聞かされていた幼き保之助は、大人になってから父の死の真相を聞きました。

動画制作に協力くださった通潤橋歴史資料館、山都町のみなさま、ありがとうございました。

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