【大火砕流】よくわかる雲仙普賢岳

2024年6月29日。

本日もお読みくださりありがとうございます。

さびん
災害記念館に行ってきたでござる
がまだすドームにゃ

がまだすドーム(災害記念館)

がまだすは
がんばれって意味にゃ

あの火砕流

さびん
1991年6月3日に
大勢の死者をだした
大火砕流があったでござる
さびん
マスコミさんだけが亡くなったのではなく
住民、警戒にあたった消防団員、警察
火山研究者の方々が亡くなっているでござる

マスコミはどこにいたのか

わかりやすい
プロジェクションマッピングにゃ
さびん
ウィキペディアを読んでも
いまいち理解できなかったが
これでよくわかったでござる
いわゆる「定点」にゃ
さびん
「定点」観測所ということではなく
マスコミさんたちの
「ここで各社平等に撮影しましょう」という
自主規制場所でござる
さびん
この場所の選定は
おそらく道路の角度がちょうど山と平行で
各社が横並びになって溶岩ドームが撮影できる
という理由だと思うでござる
「過激な撮影競争の防止」にゃ
さびん
「車で行ける安全な最深部」ということで
記者クラブとして決めたと思うでござる
溶岩ドームからは
4キロも離れてるにゃ
さびん
当時は安全と思われていたでござる
さびん
拙者もカメラマンの端くれとして
胸に迫るものがあるでござる

ご冥福をお祈りします

さびん
ちなみに火砕流は1万回くらい
あったらしいでござる
そんなに!
さびん
さらにいうと
あの死者を出した火砕流が最大というわけではなくて
2,3年あとに
最大の火砕流が流れているでござる
火山のエネルギーはすごいにゃ

島原は何度も火山災害を乗り越えた

さびん
江戸時代にも
日本の火山の最大被害の噴火が
あったでござる
さびん
人的被害は悲しいが
豊かな土壌もできたでござる
島原は農産物の宝庫にゃ
さびん
海の豊かさも
土の良さらしいでござるよ

それではきょうはこのへんで。

あすも良い日になりますように。

ありがとうございました。

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